ぷくろー's Blog

ぷくろーの波瀾万丈人生とUターンで成功するまでの物語

ぷくろーが高校生だった頃に見た夢

もうかれこれ25年近く前にさかのぼる。

 

わたくし、ぷくろーがまだ社会を知らない茶髪・短ラン・ぼんたんのヤンキーだった頃、あるときから、毎晩同じ夢を見るようになった。

夢というのは、眠っているときに見る夢のことである。

 

毎晩のように、こんな夢を見た。

 

自分が社長で、都会のビルから夜景を見ながら「やっとここまで来たか」とつぶやく 

 

両親が心底大学進学を望んでいたにも関わらず、後輩の女子をとっかえひっかえ付き合っていた茶髪ヤンキーがである。

もちろん大学進学なんて全く考えていなかったし、地元で高卒で雇ってくれる会社があるだろうという何ともテキトーな考えを持っていた。

 

実は、高校を卒業することすら微妙で、テストは赤点ばかりで、先生の肩もみや小間使いをして、先生が目をつぶってテストの間違った答えに”うっかり”まるを付けて卒業させてくれたのには今でも感謝している。

 

その後、中学時代の部活の恩師や高校の体育の恩師に頼み込み、とある地元のリゾート会社が経営しているホテルの客室清掃係として無事になんとか就職できた。

 

せっかくコネで就職できたので、恩師に恥をかかせるわけにもいかず、一生懸命働いた。

 

そんな平凡な毎日を過ごしていたのだけれど、そのホテルは東京の会社が資本を出していたため、コンサルタントが数名常駐していて、そのコンサルタントたちと仲良くなった。しばらくして、そのコンサルタントの家に毎晩のように鍋やら焼き肉やらを食べに行く仲になっていた。

 

話は脱線するが、当時、インターネットはまだ東京ですら普及しておらず、ましてド田舎でインターネットなんてものは、知る人がいなかった。

ぷくろーは、たまたま小学3年生頃に父親が仕事で使うからと家にパソコンがあった。

ぷくろーが小学校の3年生ということは、30年以上前のことである。珍しかった。

父親がその”パーソナルコンピュータ”を使わないときに、こっそり電源を入れて、BASICというプログラミング言語を使うことができるということを知った。

小学生時代は、授業中であるのにノートにひたすらBASICのコードを書いて、家に急いで帰っては、そのコードを入力して実行させることが楽しくて仕方なかった。

 

話を元に戻すが、そのコンサルタントにそのことを話していたときに、「ぷくろーくんはコンピューターを扱うことができるのか・・・仕事に役立ててみたらどうか?」と言われたのである。

 

インターネットは存在しない(厳密にはアメリカでは徐々に普及していたらしい)、日本ではある一部のオタクが”パソコン通信”というもので楽しんでいることを雑誌で知り、自分もやってみたくなり、始めることとなる。

客室清掃係としてプライドを持って仕事をしながらも、ぷくろーは、可能性を感じた”パーソナルコンピュータ”で”パソコン通信”を仕事で使うことを模索し始めていた。

 

将来、アメリカの大学で世界の広さを感じ、日本に帰ってきてから、テレビに取り上げられたり雑誌に記事を寄稿するようなITベンチャーを東京で立ち上げることになるなんて想像もしていなかった。

 

だって、茶髪ヤンキーがコネでなんとかギリギリ就職させてもらったのだから(笑)

 

次回、客室清掃係から大規模リゾート会社の財務課(その会社では出世街道)に異動になる話を書こうと思う。

 

私のブログを読んでくださり、本当にありがとうございます。